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執筆者の写真やすむろあやこ

あたまの体操


あたまの柔軟性を大人になっても持ち続けたい!

と学生の頃は思っていたとしても、無意識にその弾力感がなくなっていることに気づく。



「子育て親育ち」ってネーミング、私たち4人はこれしかないでしょ⁉

って気持ちで、このネーミング気に入って活動しているんですけどね。


でもね、子どもいないからねー

    結婚してないからねー 


そんな意見をもらいます。


気に入る方を選ぶのか、

人に伝わるものを選ぶのか・・

という議論もあるのですが。


その方たちにも届く、ネーミングにできない自分達もあたまが固い!すみません。

ということを前提に・・・・


子育て親育ちをつかって

あたまの体操はじめました✨


親と子って、結婚して子どもができたという「子」と「親」という関係性以外に

どんな意味があるのだろう。



親って 木の上に立って見守る。

そんな漢字の成り立ちがある。

それを人のみで考えると、???の人も多いかもしれないけども、



人ではないものに視点を変えると


この地球が

この国が

この街が

「親」であると


そこに生まれ生きている

そこに生きている

そこに住む

「子」自身であるわたしが

        家族が

        近所の人が

「子」にあたるかもしれない。



「子」を街にすむ「わたし」とすると

その「わたし」が何か、アクションしたことが

メディアに取り上げられて


街が注目されると


その街が他の地域から魅了されるようになったり

人がその街に集まってくるような広がりをみせる。


「子」が成長することで、「親」である地域に貢献!!

そんな地域活性的な意味合いも、子育て親育ちには含まれている。



もう一つの視点は

弱者を育てようとすることで

教育者が色んなことを感じ 考え 学ぶ



実際、発達障がいの診断がつくようになったことで

発達障がいの人の気持ちに寄り添おうと、

考える家族や、教育者、バリアフリーをつくろうとする大人が増えている。


そんな教育的な意味あいも子育て親育ちには含まれている。




関係性の見方をかえると

「親」と「子」にあてはまる人が変化する。





難しいことのようだけど、

今をいきている私がいる限り、

何かしら育てていて、

育っていくものがある。



きっと、それは一人ひとりの意識かもしれない。




それが家庭を育むメリットかもしれませんね。























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